日当たりがよく風通しや水はけの良い所が最も理想的な立地条件ブログ:21 6 21
オレがお母さんの料理のありがたみを知ったのは、
高校2年のときでした。
肉体を悪くしたお母さんが、
一ヶ月入院することになったのです。
母子家庭の我が家では、お母さんは大黒柱。
このままお母さんがいなくなるのではないかと…
とても心細かったのを覚えています。
それまで、
きちんと料理の手伝いをしていなかったオレは、
お母さんの見舞いに行っては
ごはんの炊き方から聞くような連日でした。
最初はお母さんの見よう見まねで、
午前中食の用意、お弁当作り、夕飯の用意…
とやっていました。
しかし、授業を終えバイトから帰るとへとへとで、
自炊などとてもできる状態ではなく、7日間と続きませんでした。
それまでの食事は、
お母さんがオレの健康を気づかい、魚料理などの和食が中心でした。
煮物、ひじき煮、おひたし、切干大根…など
どれも栄養豊富な料理でしたが、
高校生のオレはちょっと物足りなさも感じてもいました。
だから…というか、この時とばかりに
自分の好きなものばかりを食べようと決めたオレは、
午前中食をごはんから菓子食パンに変え、
お弁当はできあいのもの、
23時はインスタント食品やジャンクフードなどにし、
栄養も考えず食べたいものを好きなだけ食べていました。
当然の結果というべきか、
オレの肉体はそのつけを払うことになりました。
体重は2KGも増え、
肌にはニキビができ、髪もパサついた状態になりました。
しかも、たった一ヶ月の間に2回も風邪をひいてしまい、
入院中のお母さんを不安にさせる程でした。
術後の経過が良かったお母さんは、
退院後家に帰るなり、
栄養たっぷり愛情たっぷりの料理を作ってくれることに…
お母さんに食べたいものを聞かれ、
和食好きでもなかったオレが真っ先に答えたのは、
「煮物」でした。