墓石代や永代使用料または管理料などが必要ブログ:09 1 16
引っ込み思案な息子だったあたしが、
小学5年生のときに、学芸会の劇の主役を演じることになった。
それはあたしにとって、大きな事件だった。
「絶対見に行くからね!」
いつも明るい母親が言った。
あたしが世界で一番喜ばせたい相手がこの母親であった。
当時、我が家は裕福とは言いかねる状況でしたが、
それでもお父さんと母親は一生懸命働いて、
あたしたち兄弟三人をどうにかこうにか育ててくれていた。
当日、あたしは熱演した。
ダンボールの帽子を被り、
思春期の入り口に差し掛かった息子には少々照れくさい
「泣く」という演技もこなした。
家に帰るなり、
母親が「すっごく良かった!あんたが一番上手だったよ!」と、
それはもう手放しで絶賛してくれた。
しかしその真夜中、
年子のお兄さんの言葉によって、あたしは事実を知る。
「一番上手!」どころか、
母親はあたしの「熱演」を見てもいなかったのだ。
お兄さんは学芸会の運営委員で、
体育館の戸口を開閉する係をしており、
あたしの出番の時は、お兄さんも母親を待ち構えていたのだが…
「幕が開いても母さん来なかった。
お前の出番が終わって、幕が閉じてる最中にあわてて入ってきたんだよ」
母親の居ないところでお兄さんは言った。
あたしはがっかりした。
先生にでも級友にでもなく、母親に捧げた演技だったのに…
見てもらえなかったことは悲しかったが、
母親への失望や怒りは沸いてこなかった。
ただ、
いつも物を入れすぎて
不格好になっている仕事用の鞄をブラ下げ、
息をきらしながら、
慌てて体育館に向かっている母親の姿が浮かんだ。
仕事をこなしながらも
きっと一日中あたしのことを考え、
精いっぱい調整して、それでも間に合わなかったのだ。
母親こそ、本当は泣きたかったに違いない。
「熱演」をしたのは母親の方だったのだ。