多くの民間霊園で指定石材店制を導入している傾向にあるブログ:29 7 16
高校二年の二学期早々に、
おれは学習意欲を喪失し、成績不振から登校拒否を起こした。
午前中、「行ってきます」と出て、
図書館で24時間を過ごし、夕帰った。
不登校四日目、自分なりに考え抜いて退学を決意した。
その夜、お兄さんや弟たちが寝静まるのを待ち、
父に言った。
困惑した表情をわずかに見せた父は多くは語らず、
強く叱ることもしなかったが、こう言った。
…いいだろう。
ただし、もう一ヶ月だけ学校に行け。
そして、学校生活に全力で取り組んでみろ。
それでも決意が変わらなければ、退学して家の仕事を手伝うがいい。
おれには五人のお子様に分けるほどの財産はない。
ただお前たちが勉強したいんなら、
どんなことをしてでも大学に行かせてやろう。
それが、おまえたちに残すことができる財産だ…
一ヶ月後、あの決意をすっかり忘れて、
学校生活にのめり込んでいる私がいた。
この言葉は、
働きながら夜学に通い、
二十六歳で会社を立ち上げ、
叩き上げの商売人だった父が
おれに残してくれた遺産だ。
西郷隆盛に、
「児孫のために美田を買はず」という遺訓がある。
「財産を残すと、子孫の精神が安逸に流れやすいからそのようなことはしない」
という戒めである。
父は「児孫のために美田を買えず」であったのだろうが、
鍬だけは買ってやるから、後は自分の力で荒地を切り開き、
田畑を耕せと教えてくれたのだろう。
その鍬のおかげで、
おれは今日までともかくも生きてこられたような気がする。
そして、おれもまた、相変わらず美田を買えないままに、
使い古したその鍬を二人のムスコに譲り渡した。
今、ムスコたちは、その鍬で汗を掻きながら田畑を耕している。